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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

Sensitive Human 人間は感じやすい葦である

大脳の中心的な役割は「考える」ことではなく、実は「覚える」ことだとされています。そこに蓄えられる記憶は、言葉や映像、あるいは音や味覚にとどまらず、気配や雰囲気なども含む、外界からインプットされるあらゆる種類の刺激や信号であるともいいます。さらにそこには、我々のからだの中でたえず生み出されている「内側の感覚」も記憶されているはずです。

一方で体内の諸器官の間では、脳を介さない多様な信号が交換されていることも明らかにされつつあります。そのような記憶も、何らかのかたちでからだの中のどこかに蓄積されているのかもしれません。

「考える」ということは、そんな記憶をアウトプットすることでもあります。言い換えれば、信号はアウトプットされることにより「情報」になるわけです。ただしアウトプットは他者とのコミュニケーションだけではありません。自分自身に向けた出力、つまり自覚や想起なども含まれています。そこでは言葉やシンボルが大きな力を発揮することになりますが、実は記憶の大部分は言葉やシンボルではあらわすことはできません。もしかするとそこにこそITやAIでは決して追い付くことのできない人間の可能性が潜んでいるのかもしれないのです。

哲学者ブレーズ・パスカルは「人間は考える葦である」と綴りましたが、その前にまず人間は「感じやすい葦」であり、その大きな脳に感覚の記憶を蓄えることによって、はじめて「考える葦」になったのです。

ためにし昨日一日の自分の行動を振り返ってみると、昨日の自分が何をどのように考えたのかということは意外に思い出せないものです。我々の昨日を彩っているのは、何を見て、何を食べたか、気分はどうだったのか、つまり何を感じたのかということなのです。

人間は矛盾に満ちている。

人間はなかなかやっかいな生き物なのかもしれません。
野生動物なら感覚が導くままに行動して、生きるだけ。
ところが人間の感覚は野生動物と比べると、少し鈍くなっていて、
自然や周囲の環境が発するシグナルを感知する能力に欠けています。
さらに文明化のせいなのか、感覚よりも自分の思考を信頼しがちで、
時々、思わぬ判断や行動をしてしまうことがあります。

そんな矛盾に満ちた人間相手にビジネスをするのも一苦労です。
作る側が「これが正しい」と思っていても、
受け取る側が同じように考えてくれるとは限りません。
逆に受け取る側が「当たり前」と思っていることに
なぜか作る側が気づかずに、大失敗をしてしまうこともあります。

このやっかいな生き物が持つ、
矛盾だらけの感覚にまつわる5つのお話。
あなたの感覚は、うまく働いていますか?