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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

感じる内臓、考える皮膚。

人間を含む多くの動物が皮膚でも呼吸しているように、呼吸機能は必ずしも呼吸器官の専売特許というわけではなさそうです。感覚も同様です。視覚、聴覚、味覚、嗅覚の受容器官は、脳のある頭部に集中していますが、音や光や物質的刺激は、全身のいたるところで感じています。また、5番目の感覚とされている皮膚や内臓の感覚の内実は、簡単には一括りにできないほど、多様で複雑でもあります。皮膚や内臓でも受容した刺激の「情報処理」が行われているとすると、からだのそこかしこには脳と同様の機能が備わっている可能性があります。生体は全身を使って「考えて」いるのかもしれません。

◉味覚が甘・塩・酸・苦・旨の5つでは単純に表現できないように、感覚そのものも五感には収まりきれません。第六感を持ち出すまでもなく、生理学でも、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚に加え、そのレベルはまちまちですが、温覚、冷覚、痛覚、掻痒感、くすぐったさ、運動覚、圧覚、深部痛、振動覚、臓器感覚、内臓痛、嘔吐感、前庭感覚などが知られています。そのいくつかの機能は、まだ充分には解明されていません。しかも共感覚と呼ばれる、ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚が生じるケースがあります。たとえば、文字に色や音を感じたり、形に味を感じたりということが起こります。ただし共感覚の持ち主でもその感じ方は人それぞれ。スクリャービンとリムスキー=コルサコフはともに共感覚を持つ作曲家でしたが、ハ長調はリムスキー=コスサコフには白、スクリャービンには赤でした。また幼児は大人とほぼ同じ匂いを嗅いでいますが、それらを鼻だけで感じているわけではありません。匂いを聞いたり、見たり、肌で感じたりしているのです。その感覚世界は、つんとくる香りとぴりっとした音、苦い匂いのする音、芳ばしい映像、酸っぱい匂いのする感触などが、渾然一体となっているのです。

◉人間は、その進化の課程で、青、緑、赤の順に色を見る能力を獲得してきたとされています。最後に獲得した赤は興奮色でもあります。もちろんほとんどの人には赤を見る力があります。しかし赤を感じさせる長波長の光のエネルギーの刺激に対して、眼はほとんど役に立っていません。見えるはずのない赤が見えるのは、脳の働きによって赤という色がつくり出されているからです。ある研究によれば、盲目の子どもたちを赤い壁の部屋に入れると、いつもは静かにしている彼らがざわめき、落ち着きをなくすといいます。チンパンジーに赤い色を浴びせても、興奮して落ち着かなくなります。紫外線や赤外線もまた、見ることができないのに、ときとして感じることができます。視覚をはじめ、あらゆる感覚は相対的なのです。

◉古今東西のほとんどの文明で、視覚はつねに感覚の最上位に置かれてきましたが、この傾向は世界共通というものではありません。メキシコのツオッツイル族では熱が、ブラジルのスヤ族では音が、それぞれ重要な情報媒体になっています。南太平洋のオンギー族やアマゾンのトゥカノ族のように、匂いがアイデンティティや知識の伝達の中心的な役割を担っている集団もあります。さらに人間以外の動物まで話を拡げれば、それぞれの世界のあり方は激変します。人間の1000万倍の嗅覚感度を持つ犬や鹿、からだ中に人の10倍以上の味蕾を持つ鯰や鮫たちは、世界をどのように感じているのでしょうか。

生理学的な感覚要素の分類。

◉日本語の特徴の一つとして、擬態語の多さが挙げられます。「ムズムズ」「ザワザワ」「ゾクゾク」や、「ムカムカ」「シクシク」「ペコペコ」など、皮膚感覚や内臓感覚を表す言葉も多いようです。医療の分野には、不定愁訴という言葉があります。患者が何らかの症状を自覚していながら、検査によってその原因となる病気が見つけられない状態のことです。頭痛や不眠や動悸のように比較的はっきりした症状もありますが、何となくイライラする、頭が重い、だるい、火照る、耳鳴りがするといった本人以外には、わかりにくい状態も少なくありません。「気のせい」と言ってしまえばそれまでのこと。しかしその「気」に問題が生じることが当の「病気」にほかならないのですから、擬態語でしか表せない症状も、自身の異常を感じている証しということになります。

◉我々が自覚できない、つまり脳で情報化されていない感覚は、おそらくその何十倍、何百倍もあるはずです。内外の刺激、ときには異常の信号は皮膚や内臓で処理され、他の器官に伝達されることにより、多くの場合、異変は調節されることになります。そこでは信号が情報化されているわけですから、皮膚や内臓も脳の機能を持っているわけです。むしろ脳は、そんなすべての細胞や器官が備えているはずの情報処理の機能に特化した器官なのだと言えるでしょう。皮膚や腸が第二の脳と呼ばれることがありますが、脳の方が後付けのメモリでありプロセッサだったのです。

◉体内に張り巡らされた感覚と情報のネットワークの中で、もちろん脳は重要な位置を占めています。しかし生体一般にとっては、免疫系の方がネットワークの本来の主役だったのかもしれません。すでに単細胞生物が、ウイルス感染を防御する、免疫システムの原型とも言える酵素系を備えていました。脊椎動物になると、リンパ球の一種であるB細胞だけでも数百万から数億種の抗体をつくり出しています。免疫系全体では、その総数はそれこそ天文学的数字になるとされています。それは未知の病原菌や異物への対応力をあらかじめ備えているということを意味します。我々のからだはそれだけ多様な刺激への対応力、すなわち自覚されない「感覚の力」を持っているのです。しかもその免疫系は、感覚や感情とも深くかかわり合っています。笑いが免疫力をアップさせるというように、脳が生み出す感覚や感情は、免疫系の見えない「感覚」と表裏一体の関係にあるのでしょう。

[参考文献]小町谷朝生『色彩のアルケオロジー』/小林茂夫『脳が作る感覚世界』/『西洋思想大事典』/荒俣宏+小松和彦『妖怪草紙』/田中優子『江戸の音』/毎日新聞社編『日本人の五感』/アニック・ル・ゲレ『匂いの魔力』/コンスタンス・クラッセン『感覚の力』ほか

鱗粉。蝶か蛾、いずれのものかを事前に知らされると、受ける印象は異なる。