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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

妖怪を見る力。

墓地やトンネルの中で幽霊や妖怪を見てしまうのは、墓石やトンネル内の岩に含まれているウラニウムなどの放射性物質によるという説があります。ことの真偽はともかくとして、確かに我々の周囲には紫外線や超音波をはじめとする、見えない光や聴こえない音が溢れています。感覚の閾値がほんの少し変わるだけでも、おそらく世界はまったく違ったものになるでしょう。我々が知っているのは、感覚器官によって切り取られ、フィルターがかけられた、世界のごく一部だけなのです。多くの幽霊や妖怪、そして神仏の目撃譚には、そんな見えない世界を垣間見てしまった記録が紛れ込んでいるかもしれません。

◉日本の幽霊は夏に出るものと相場が決まっていますが、西洋では季節は問いません。どちらかというと冬が旬のようです。日本で夏が幽霊のメインシーズンとされたのは、幽霊に冷たいイメージがあるからかもしれません。冷気や背筋がぞくぞくするという感覚は、幽霊出現の前兆でもあります。ただし生ぬるい空気も、怪しさの代名詞ではあります。匂いでは生臭さ、音では烏の声、雷鳴もお馴染みの道具立てでしょう。

◉時間なら丑三つ(午前2時頃)と並んで、「たそがれ」どきや「かわたれ」どきが、怪しい出来事のゴールデンタイムといったところ。どちらかというと丑三つが幽霊、「たそがれ」や「かわたれ」が妖怪の時間かもしれません。主に「かわたれ」は「彼は誰」で明け方、「たそがれ」は「誰そ彼」で夕方のこと。どちらも出会った相手の顔や姿が判然としない薄暗い時間です。視覚には、対象の中に馴染み深いパターンを見出そうとする癖があります。その代表は何といっても人の顔。人面魚や人面犬を見てしまうのもそのためです。我々は、壁の染みや木目の中にさえも人の顔を見たがっているのです。心霊写真の多くも、そんな人面を見たがっている視覚の癖による作用であると説明できます。

◉明治時代に活躍した仏教学者の井上円了は、「妖怪学」の名のもとに、コックリや幽霊、河童や天狗や鬼までを合理的に説明し、その全てを迷信であると切り捨ててみせました。彼の集めた膨大な妖怪資料や、そのこだわりを見ると、彼はその存在を懸命に否定する一方で、どこかで妖怪を信じたがっていたようにも思えてきます。合理的で理性的であることを自認している人でも、ホテルの客室に入った途端に気味の悪さを感じたり、電話のベルに嫌な予感を覚えたりすることもよくある話です。実際には何事も起こらなくても、感じたことは当人にとっては、あくまでも「事実」にほかなりません。いずれにしても感覚はそれぞれの脳で生成されるものだからです。

◉ヨーロッパのある科学者がインドの僧侶に「なぜあなたは眼に見えない魂や神の存在を信じるのか?」と問うたところ、僧侶の答えは「あなたは風の存在を信じないのですか?」というものでした。そもそも事実とされていること、例えば源義経や豊臣秀吉の存在にしても、重力や微弱な放射線にしても、直接見ることも触れることもできません。とりわけ歴史的事実に至っては、実験的に再現することもできないのです。事実は、必ずしも見たり触れたり、あるいは追認することができるわけではないのです。妖怪や幽霊とされているものも、それを感じることのできる人にとっては、もう一つの事実であることは言うまでもありません。

井上円了による「妖怪学」の体系。

◉古代の日本では、朝廷に服従しないものたちは、土蜘蛛や鬼と呼ばれ、異形の姿であるとされました。平安期には、恨みを持って死んだものは、怨霊となって祟ると考えられるようになります。怨霊はその力を鎮めるために、しばしば神として祀られました。また酒呑童子や茨木童子のような強い力を持つ「賊徒」も鬼と呼ばれています。中世の物語に登場する付喪神は、年を経て化けた器物の妖怪です。そもそも器物は職人の技によって自然の素材が変化したもの、つまり「化けた」ものであり、はじめから妖怪化する素質を備えていたとも言えます。

◉見ることのできない現象もまた、妖怪になります。山奥の怪音、得体の知れない鳴き声、川辺から聞こえる異音は、それぞれ「天狗」や「鵺」や「小豆洗い」などの仕業とされました。未知の現象や名状しがたい感覚を言葉であらわそうとするときに、妖怪が誕生するわけです。近世には百物語や妖怪図絵が流行し、多くの妖怪が名付けられ、描かれることで一種のカタログ化されますが、言葉にされ視覚化されることにより、妖怪の恐ろしさやパワーは減退してゆきます。

◉井上円了のような近代的な見方によれば、妖怪を見ることは、幻覚や夢を見ることとほぼ同義です。ただし夢や幻覚もかつては、現代とは大きく異なるリアリティを持っていました。夢占や夢告のように、それらは何かの予兆であるとされ、北条政子が妹の見た吉夢を買い取ったというエピソードが伝えられているように、鎌倉時代あたりまでは、夢が売り買いされていました。夢や妖怪は、人に憑くものであると同時に、交換可能な商品であったわけです。

◉政変や自然災害などの異変には、必ずといっていいほど怪事や妖異がともなっています。南北朝の分裂や応仁の乱などの戦乱や大きな一揆や暗殺事件の前には、京都山科の将軍塚が鳴動したり、洛中を光り物が飛んだりします。災害のただ中でも、豪雨の中を龍が昇天したり、稲光とともに雷獣が落ちてきたりするという記録は枚挙にいとまがありません。中には因果関係がよくわからないもののあります。万治二年(1659)の羽前の大洪水では、白髭の老人が濁流の上を座禅したまま流れていったという記録があり、天明五年(1785)には会津で白髪の仙人が木の上に乗ったまま洪水の川を下っていったといいます。近年では東日本大震災(2011)の津波の際にも、同様の目撃譚が報告されています。常識的にはもちろんあり得ないことであり、水上の老人のイメージが何を意味するのかはわかりにくいのですが、パニックの中、そんな老人を目撃することで、何かが了解され、混乱した感覚に収まりをつけるという、お祓いのような呪術的な作用があったのかもしれません。

江戸時代に描かれた「カマイタチ」の図。鎌鼬は、もともと風の妖怪。