Loading...

ABOUT THIS SITE

科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

創発〜余りすぎる時間。

おそらく、古代の人類にとっては、生きることはそのまま、狩猟採集生活であって、睡眠、食事、育児などは、生き続けることと一体となっていたと思われます。労働と余暇の分離が起こるのは、定住生活により食物の貯蔵が可能になって以降であり、それもごく一部の人びとの間でのことでした。やがて祭礼が生まれ、余剰の時間は「ハレ」の時間になります。近世になって都市生活がはじまると、生活の効率化が進み、いわゆるルーティンワークは、「他者」や「機械」に託されるようになっていきます。IoT化により、労働や生活がさらなる省力化・効率化に向うと、我々の手には大量の「何もしなくていい時間」が残されることになります。

●「創発」とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることと定義されています。進化や直感(直観)、あるいは脳そのものが、創発の代表例です。近年、シミュレーションによって創発現象を人工的に作り出すことが研究されていますが、創発のかたちを真似ることはできても、創発そのものは生み出せないかもしれません。創発とは、思いもかけないものが突然現れること。あらかじめ図式化できることや、選択肢を用意できるようなことは、もはや創発とは言えません。

●例えば脳の機能がいくら詳細に解明されたとしても、「心」や「精神」や「魂」と呼ばれてきたものを完全に理解することはできないでしょう。それらは、脳単独の機能ではなく、脳と身体、脳と環境の相互作用と深くかかわっていると思われるからです。極論すれば、朝の食事の内容次第で、その日どんなアイデアを思いつくかが、左右されます。しかも、画期的なアイデアは、多くの場合、そのことについて思い詰めているときには出会うことが少なく、入浴や散歩のような思わぬ時に「やって来る」ものなのです。

INDEX