Interview #06テクノロジーと人間の五感

自然を遠く離れ、現実から仮想空間へ
人間は次々と新しい世界を切り開いていく。
われわれの五感はどこに行こうとしているのか。

廣瀬 通孝

東京大学工学部教授。1954年生まれ。東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。専門は機械情報学、ヒューマン・インタフェース、ヴァーチャル・リアリティ。編著に『ヒトと機械のあいだ』(岩波書店)などがある。

機械によって
拡張される感覚

人間は機械を使うことによって、身体機能が鈍くなってしまったと言われます。確かに自動車に乗ることによって、歩く能力は衰えたかもしれないけれど、一日で移動できる距離ははるかに伸びて、徒歩ではできない多くの活動が可能になりました。物を書くにしても、手書きの時代の作家たちは記憶力も良く、漢字もたくさん書けたのでしょうが、ワープロの登場で構成能力も上がったし、生産性も向上したはずです。「銀塩の表現力に及ばない」という意見もありますが、デジタルカメラの進化は、撮影者の負担を減らし、より多くの人に写真の楽しみを与えてくれました。
インターネットやヴァーチャル・リアリティ(VR)の世界も、人間という生物にリアルワールドではない新しい別のパラダイムをもたらしました。リアルワールドではコミュニケーションが下手でも、インターネット上では非常に雄弁になる人や、コンピュータの力を借りることで、見事な創造性を発揮できる人たちも活躍するようになりました。
もちろん機械にどこまで頼るかについては、注意しないといけませんが、機械を使うことの負の面ばかりを強調してもはじまりません。機械が広げてくれる可能性について、きちんと評価しつつ使いこなしていくべきでしょう。

VR技術を利用してゲノム情報を可視化する

VR技術を利用してゲノム情報を可視化する

新しい認識の広がり

私は小さい頃から眼鏡をかけていますが、これは眼鏡によって視力を拡張しているわけです。通常は視力1.0くらいに矯正しますが、もし視力3.0くらいに矯正できたらどうでしょうか? ハンディキャップを持つ人が、普通の人を越えた能力を持つことになったら? これはこれで痛快なことに思えます。
そうした技術をみんなが使うようになれば、社会全体が新しい認識の元で、次のフェーズへ入っていけるのかもしれません。宇宙開発の成果として、人工衛星からわれわれの地球を外から眺められるようになりました。それによって「かけがえのない惑星」という認識が広く共有されるようになりました。新しい技術と社会との間に問題があれば、みんなで知恵を出し合い、克服していく。人間はそれを繰り返してきたのだと思います。

ディテールにこだわる
人間の視力

人間は感覚器官からの情報を脳内で統合して周囲の世界を認識しています。一方、VRは、その感覚情報を機械的に合成するものです。つまり人間に近い機械をつくることが必要になるわけで、その過程で人間がどのように世界を認識しているかが分かってきました。
たとえば人間の目の仕組みを説明するとき、カメラの機構を思いうかべます。しかし、網膜から得られる視覚は、フィルム面に記録されるようなきれいなものではありません。しかし映っているのは焦点の周辺部分だけで、外周はぼやっとしていて形が分かるだけです。せいぜい「何か動いているな」と分かるくらいで、そうした情報を頭の中で合成しているにすぎません。しかも厳密にはリアルタイムではなく、その直前の情報にも大きく頼っています。
「やっぱり大したことないんだ」と思われるかもしれませんが、そうとも言い切れません。犬が好きな人は、たくさんの同じ種類の犬の中から、自分が飼っている犬の顔を見分けることができますね。マニアたちが、一瞬でディテールを見分ける能力は機械にはまだまだ真似できません。
問題は「どこに注意を向けるか」のバランスです。視覚なり聴覚なり、感覚というとパッシブ(受け身)なものと思われがちですが、実は非常にアクティブな側面を持っていることが分かっています。

現実のエッセンスを
取り出す

TV会議システムも実用化されてきました。いちいち全員が集まらなくていいので便利なものですが、一方で「重要なことは実際に顔を合わせないと」「映像ではその場の雰囲気が読めない」などの意見もあります。では3D映像を駆使して、どんどんリアルに近づければこの違和感はなくなるのでしょうか? 技術的にはかなりのところまで実現できそうですが、やはり現実とまったく同じにはならないような気がします。それよりももっと大胆に「現実のエッセンスは何か」を追求した方がいいかもしれません。
ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功する前、多くの研究家が「鳥の羽ばたき」を模倣しようとしていました。でも飛行において重要なのは翼の形であって、鳥を正確にシミュレーションすることではありませんでした。仮に完璧な鳥型ロボットが実現したとしても、ジャンボ機のような大量輸送は不可能だったろうし、現代の航空産業もありえなかったでしょう。本物(鳥)のエッセンスだけを取り入れることで、本物を越えてしまったわけです。

人間の主観と
本物・偽物の狭間

VRの研究は、現実のエッセンス、人間の五感のエッセンスに気づかせてくれます。視覚の研究が一番進んでいますが、他の感覚についても、おもしろいことが次第に分かってくるでしょう。研究が進み、そうした知識がVR技術に活かされ、それがまた人間の感覚を新たなステージへと移行させていくのかもしれません。
みかんジュースを紫色に着色して、「ぶどうジュースですよ」と言って飲ませてみると、多くの人がぶどうジュースを飲んだと感じるそうです。これは視覚の問題でしょうか、それとも味覚の問題でしょうか。むしろ主観的な「思い込み」に原因があるのかもしれません。思い込みもまた人間に特有のもので、かなりいい加減な部分もありながら、やはりディテールにこだわる部分もある。偽物(フェイク)だと分かっているのに、その中に本物(リアル)を感じてしまうのも、人間の不思議なところなのです。