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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

人間は、少なくとも生きている限り、自分の身体から自由になることはできません。
知能や感覚、智慧や感情も、文字通り身体と一体です。
宇宙の彼方に想いを馳せるのも、日常のささいな出来事に一喜一憂するのも、身体があればこそ。
たった一つの砂粒が靴の中に紛れ込んだだけで、満足にものを考えられなくなるのが人間です。
しかも他者の身体を体験できないという意味では、人間はいつだって一人ぼっちであるようです。

ただし身体を構成する物質は刻々と入れ替わり、身体の中では膨大な数の微生物が生きています。
昨日と今日の自分は別人で、自分の身体は自分だけのものではないということでもあります。
自分の中の未知の声、たとえば血液や呼気が発するメッセージを聞きとることは、身体の状態を判断するばかりでなく、自分自身をより深く認識する大きなきっかけにもなるでしょう。

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