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科学の忘れもの

この世界で起こることすべては、いずれ科学で説明がつき、技術で再現することができる、という考え方があります。
もしそれが本当だとしても、実現できるのは遠い将来のこと。
おそらく科学や技術が進歩するほど、世界の謎は深まるばかりという方が、ありそうな未来です。
すでに科学技術によって解決済みとされているテーマにしても、よくよく見直してみれば、落としものや忘れものだらけ。
しかもそれらは、いちばん大切で、しかも日々の生活のすぐそばにあったりするようです。
たとえば、勘や気配や予感をはじめ、合理的に説明されたように思えても、どこか腑に落ちないものは、決して少なくありません。
思えば現代文明はずいぶんたくさんの忘れものをしてきてしまいました。
しばしの間、立ち止まって、あれこれ思い出してみるときが来ているのかもしれません。
来るべき科学や技術の種は、そんな忘れものの中で、見つけられるのを、いまや遅しと待っているのです。

堀場製作所

「考える」ことを考えるのはなかなか難しいものです。
考えていることと感じていることの境界も、それほどはっきりしてはいません。
昨日一日の自分の行動を思い出すことは、比較的容易ですが、何を考えていたかは、意外に再現できません。
ものごとに夢中になっているとき、人は考えていることを意識しないものです。

面倒や困難を前にしたとき、はじめて人はあれやこれやと必死に思いをめぐらせます。そこで欠くことのできないのが、分析の力。
分析技術の進歩で、これまで人間の力だけでは扱いきれなかった面倒や困難を解決できるようになりました。
人間は「考える葦」とされ、「我思う、故に我ある」とも言われますが、もしかすると我々にとっては、何も考えていないひとときが、いちばん幸福なのかもしれません。

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