interview 2FM電波と地震予報

串田嘉男

1957年生まれ。東京都出身。八ヶ岳南麓天文台台長。独学で天文学を学び、1985年に「八ヶ岳南麓天文台」を開設。一般への公開業務を行いながら、彗星などの観測を行う。1993年にFM電波による流星観測中に地震活動の前兆となる変動現象を発見。1995年より「地震前兆検知公開実験」を開始する。著書に『地震予報に挑む』『地震予報』がある。

星々に魅せられて
八ヶ岳に
天文台を開設

小学生の頃から科学好きの少年で、将来は白衣を着て、研究室で働く姿をイメージしていました。一方、公害が社会問題になっていて、「科学はいつか地球をダメにしてしまうのではないか」と考えるようになりました。昆虫学者のファーブルのように自然をありのままに見つめる姿勢に憧れを持ち、やがて星に興味を抱くようになったのです。
中学校では科学部に入り、見学で訪れたプラネタリウムに感動し、帰り道に星座早見盤を購入。友人たちと星空を眺める日々が続きましたが、望遠鏡は高嶺の花でした。本で「反射望遠鏡を自作する」記事を読み、中学2年生の夏休みをついやして完成させました。夜になるのが待ち遠しくて、夕飯ものどを通らないほど。自宅の裏庭で望遠鏡をのぞいてみたところ、本当に美しい星々が目に飛び込んできた時は、小躍りしたくなるほどの感動を覚えました。それが私の原点と言えるでしょう。
それから星空への興味は変光星や流星などを観測する方向へ移り、その分野の奥深さにのめり込んでいきました。「今、この瞬間のあの星の動きを見ているのは、地球上で自分一人かもしれない」と思いながら、望遠鏡をのぞいていました。私が感動した星が生まれる姿、死んでいく姿、はるか遠くの銀河系や宇宙の姿を、大きな望遠鏡で、もっと多くの人たちに、自分の肉眼で見てもらいたい。そんな場所がないのなら、自分で作ろうと思い立ち、1985年に八ヶ岳南麓天文台を開設したのです。八ヶ岳を選んだのは、晴れの日が多い太平洋岸気候であること、標高1,000メートル以上で観測に支障がある生活粉塵が少ないこと、JR小海線の駅に近く、アクセスが良いことなどが理由でした。

流星の落下と
プラズマチューブ
FM電波による流星観測

一般の方に天文台を公開し、一晩中解説するという昼夜が逆転する生活をしながら、小惑星や彗星の観測を続けました。共同で55個の小惑星と2つの彗星(「クシダ-ムラマツ彗星」「クシダ周期彗星」)を発見しています。
1993年の夏、私は8月12日頃に大出現すると予想されるペルセウス座流星群をどのように観測しようか考えていました。晴れていればいいのですが、天気が悪ければ見ることさえできません。せめて出現した個数だけでも知りたいと思いついたのが、ラジオのFM電波を用いた流星電波観測でした。AMラジオで使われている波長の長いHF帯域の電波は放送局のアンテナから放射されると、地上100キロメートル付近にある電離層で反射され、さらに地表面でも反射され、遠くまで届きます。しかし波長が短いFM電波(VHF帯域)は電離層で反射されずに透過してしまいます。そのため遠くのAMラジオは聞こえても、FMラジオは放送局の近くでしか聞こえません。ところが地球に落下してきた流星が大気中の酸素や窒素分子と衝突すると、電離層付近でプラズマ状態(プラズマチューブ)を引き起こします。このプラズマチューブは本来なら電離層を透過してしまうFM電波を跳ね返すことがあり、一瞬ですが遠く離れたFM局の放送を受信することがあるのです。中学生の頃、普段は聞こえない東北地方や北海道のFM局に周波数を合わせ、ヘッドフォンから聞こえる音に、一晩中耳を傾けていました。ホワイトノイズしか聞こえてこない中で、ほんの一瞬、音楽やDJの声が聞こえると、「今、流星が落下した!」と分かるのです。

FM電波観測用のアンテナ

FM電波観測用のアンテナ

ペンレコーダーの
不思議な記録
数日後に地震発生

1993年のペルセウス座流星群でも、この観測法を試してみようと思いました。さすがにホワイトノイズを聞き続ける気にはなれず、FMチューナーにペンレコーダーをつなげて記録する方法で観測することにしました。
8月中旬、流星群が出現すると予測される夜、ペンレコーダーは記録紙にきれいな直線基線を描き始めました。時々、針状に飛び出た線が記録されます。これこそが流星の落下によるプラズマチューブで反射されたFM電波を受信した証拠(流星エコー)であり、わずか30分ほどの間に10個の流星を確認できました。
ところがしばらくすると、記録紙に見たこともない太い基線が描かれるようになりました。「これは何だろう」と不思議に思って見ていましたが、30分ほどで元の基線に戻りました。流星電波観測の本を何冊か読んでみましたが、このような現象について記述はありません。釈然としないまま流星の観測を続けて3日ほど経った時、ニュースで奥尻島で強い地震が起き、大きな被害が出たことを知りました。
その時、私は直感的に「あの太い基線は、この地震と何か関係があるのではないか」と思いました。流星観測では東北のFM局の電波をとらえるよう設定していましたが、同じ北の方向にある奥尻島で地震が起きた……。まさかと思いながら、その後はペンレコーダーがあの太い基線を記録しないかどうかを注意して見るようになりました。そのうち記録紙に太くはないものの、うねるような基線が描かれるようになりました。うねりは最初は弱く、数日で大きくなり、やがて消えていきました。そして数日後、またも地震発生のニュースを聞きました。うねりもまた地震と関係があるようです。
普通の直線基線が続く間は地震は起きませんが、ペンレコーダーが太い基線やうねりを記録し、それが消えてから2、3日後に地震が起きる。こんな現象を知人に話しても「そんなことあるわけないでしょう」と笑われるだけでした。

ペンレコーダーの記録紙。針状に飛び出しているのが、流星のプラズマチューブや航空機に反射されたFM電波を受信した証拠。

地震学者からの
否定に奮起
FM電波による
観測継続を決意

1995年1月14日、また記録紙に異常に太い基線が描かれるようになりました。15日、16日も同じ状態。そして17日の朝、当時飼っていた犬がやけに吠えるので、嫌な予感がしてTVをつけると、関西で大地震発生のニュース速報でした(兵庫県南部地震)。あわてて記録紙を確認すると、すでに太い基線は消えていました。
私は過去の観測データと、この間に起きた地震のデータとを照らし合わせて、FM電波観測が地震前兆をとらえていたのは間違いないと確信。意を決して、山梨県庁の記者クラブで記者会見を行いました。
「これまでの観測データを公開するので、地震学や地球物理学の専門家の手で本格的に調査してもらいたい」と呼びかけたものの、反応は冷ややかなものでした。会見を聞いた記者が地震学者にコメントを求めに行けば「そんなことはあるわけがない」と全否定されてしまいます。大学の教授でもなければ公立天文台に所属しているわけでもない、民間の私立天文台の人間の言うことなど、信用してもらえません。
何より腹が立ったのは、私のデータや観測方法を検証しようともせずに、完全否定する地震学者たちの態度でした。それは科学を志した人間がやってはいけないことに思えました。このまま引き下がっては悔しいので、観測設備を増やし、FM電波による観測を続けていくことにしました。

天文台公開業務を中止
地震前兆検知
公開実験を開始

1995年5月、また地震の前兆と思われる現象をとらえました。兵庫県南部地震よりも大きく、方向は北。北海道でしょうか。私はNHKや地元の新聞社に電話をかけて、近日中に北海道方面で大きな地震が発生する可能性があることを伝えました。こちらは必死でしたが、やはりまともに受け取ってはくれません。しかし、地震は起きました。北海道ではなく、さらに北のサハリンでした。
どんなに専門家から否定されようと、自分がやっていることは間違っていないと確信した私は、この観測をもっと長く続けて、前兆現象と地震の関係を詳しく調査していこうと心に決めました。
貯金をはたくとともに父親に借金をして、観測設備をさらに増強し、ペンレコーダーも大量に購入しました。ところが困ったことに、天文台の望遠鏡を操作するコンピューターが電波観測に影響を与えてしまうことが分かったのです。望遠鏡が使えないと天文台の公開業務ができなくなります。観測と天文台の両立ができないなら、観測一本にしようと決断し、天文台は休止することにしました。それでは収入が無くなってしまうので、考えた末に「地震前兆検知公開実験」という取り組みを始めることにしました。これは実験に賛同してくれる方に地震前兆の観測データと解析情報をFAXで配信する代わりに、実験参加費を支払ってもらうというものです。「いつ、どこで、どれくらいの規模の地震が起きる」ことを事前に知ることができるなら、地震に備えた行動を取ることもできるでしょう。
公開実験開始は1995年8月1日からを予定していましたが、7月26日に地震前兆が観測されたため、28日に「7月31日±2日に関東でマグニチュード5.0±0.5の地震」が起きる可能性有りと最初のFAXを配信したところ、30日に千葉県北東部を震源とするマグニチュード5.3の地震が発生したのです。
最初は一年も続ければ、はっきりとした成果が出せるだろうと思っていましたが、気づけば20年にわたり、この観測を続けています。公開実験の参加者数は企業も含めて400弱に及び、活動を支えてくれています。この間、24時間365日、一日も休むことなく観測を続けてきました。40台のペンレコーダーの記録紙は全て保管してあります。

観測を始めて以降の全ての記録紙が保管されている。

 

秋田県南部地震(1996年8月11日)の前兆の様子。うねるような基線が記録されている。

多くの失敗から得た知見
地震予報の実現に向けて

事前予測に成功した例ばかりでなく、失敗した例も少なくありません。2011年3月11日の東北太平洋沖地震については、8日から前兆を観測していたものの、当時観測されていた別の長期継続前兆と区別することができず、事前に情報公開ができませんでした。今でも悔やまれます。
失敗するたび、データを見直し、新しい発見があり、前兆と実際の地震との関係について豊富な経験値を得ることができました。その結果、現在では「震源地」「地震の規模」「発生日」について、誤差を含め、予測することができるようになっています。
兵庫県南部地震のように前兆期間がわずか3日という例もあれば、岩手・宮城内陸地震のように3年半に及んだ例もあることが分かっています。2008年から観測を続けている「長期前兆No.1778」は、2015年7月末頃に近畿圏に大型地震が発生する可能性があること(東北地方の可能性もあり)を示しており、引き続き調査検討を進めているところです。
私は地震予知という言葉は好きになれません。その代わり地震予報と呼んでいます。天気予報とは言いますが、天気予知とは言いませんよね。地震予報は神様のお告げのような「予言」ではなく、はっきりとした前兆を解析することで、地震発生を科学として予測しようというものです。「今日は雨が降るでしょう」と天気予報が言えば、傘を持ってでかけます。突然の雨にあわてることはありません。これと同じように地震発生を事前に知ることができれば、それに備えることが可能となり、被害を少なくすることができるでしょう。
私はそんな時代が来ることを願い、これからも観測を続けていきます。

diagram 2
地震列島、日本

日本の歴史は地震の歴史でもあります。当然、時代を遡るにしたがって、記録の数は少なくなっていきますが、 マグニチュード6クラスの地震なら、ほぼ毎年のように日本およびその周辺海域で発生しているようです。 ここでは、マグニチュード6.5以上の地震を中心に、日本人の暮らしに大きな影響を与えたものを集めました。